高杉晋作

高杉晋作と幕末を駆け抜けよう!!三話!松陰先生との永遠の別れ!

管理人のヤスマサでござる。いよいよ安政五年になる。
みほ
みほ
安政五年は何があるの?
何じゃ、知らんのか!有名な安政の大獄じゃ!
みほ
みほ
じゃあ松陰先生はどうなるの?確か処刑されちゃうんじゃ・・・
うむ!だが松陰殿の死に様を見て欲しい。高杉晋作殿にも大きな影響を与えるのじゃ。最後までしっかりとご覧くだされ!!

 

高杉晋作と激しく揺れ動き始めた幕末!!

 

 

高杉晋作が江戸へ立った安政五年は国情が激しく揺れ始めたとしでした。

幕府は勅許を得られないうちに、前年に続き開港を広げ、フランスとも条約を結びました。

その幕府の方策を批難する声が高まりました。

そこで登場したのが井伊直弼です。

井伊直弼は大老になり、幕府を批難する人達を激しく弾圧したのです。

これを安政の弾圧といいます。

 

安政の大獄の井伊直弼の実行した事の要点を記します。

 

安政の大獄

・老中間辺詮勝を朝廷内粛清の任務を命じた

・井伊直弼が永野主善に密命し、陰で動かせ間辺詮勝を強力にバックアップさせた

・伏見奉行所の内藤正縄を抜擢し、「御所内取締」をさせ、間辺詮勝を補佐して反幕府の公卿を弾圧させた

 

御所内取締とは何たる不遜!!

 

そう叫ぶ勤王の志士達が増えてきました。

松陰も当然その一人です。

そして井伊直弼の弾圧が志士に及びました。

梅田雲浜、水戸藩士鵜飼吉左衛門、鷹司家小林民部を始め、宮家、公卿の諸臣・儒者・学者等が根こそぎ逮捕されてました。

 

高杉晋作と幕末を駆け抜けよう!!松陰先生と安政の大獄!!

 

松陰先生は安政五年11月に入って、水戸藩、薩摩藩等4藩で井伊直弼の暗殺計画が進んでいるとの情報を耳にしました。

この情報を信じた松陰先生は、井伊直弼の暗殺は水戸藩、薩摩藩等に任せ、長州藩は間辺詮勝を暗殺すればいいと考えます。

しかし松陰が耳にした井伊直弼の暗殺計画は水戸藩と脱藩浪士が画策したもので、4藩が同時に勤王に向けて動き出したというものではありませんでした。

松陰先生ほどの人物でもガセネタに引っかかることもあるんですね!

この情報により松陰は動き出します。

松陰は塾生17名と血盟し、間辺詮勝の暗殺を計画しました。

そしてなんと11月6日に長州藩重臣前田孫右衛門と周布政之助に大砲弾薬などの供与を願い出たのです。

松陰が間辺詮勝暗殺を企てていることをしった晋作達は、「無謀だ」と連名で書状を松陰に送りました。

このことは松陰先生を酷く落胆させました。

「自分が死んで見せたら、立ち上がる者もいるだろう」

松陰はそう嘆いています。

しかしこの嘆き通りに松陰は処刑されて殉教者となり、晋作を始めとする門下生を奮起させたのです。

安政六年10月27日、松陰は遂に処刑されました。

安政の大獄の最後の犠牲者でした。

 

ちなみに松陰が晋作に教えた死生観を下記に記します。

 

君はいつか私に、男子の死ぬべき時はいつかと尋ねたことがある。今、私は死を目前にして死について発見するところがあったので伝えておく。死は恐れるべきでも憎むべきものでもない。生きて大業をなす見込みがあれば、いつまでも生きたらいい。死して不朽の見込みがあれば、いつでも死んだらよいのである。

 

晋作はこの松陰先生から教えられた死生観によって幕末を駆け抜けました。

つまり潔く死ぬことを美徳とする武士と違って、死んでも不朽の見込みがないと考えたらためらわずに逃げました。

こうして偉業を成し遂げたのです。

 

高杉晋作と幕末を駆け抜けよう!!三話!松陰先生との永遠の別れ!まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

遂に松陰先生が処刑されてしまいました。

とても優秀な人物だっただけに残念に思います。

晋作も悲しく苦しい日々を送ったのでしょう。

しかし辛い日々を乗り越え、偉業を成し遂げたのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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