真田一族

上田合戦、第一次(神川)の戦い!冴える真田昌幸の知略!!

管理人のヤスマサにござる。今回は真田昌幸殿が徳川殿の大軍を打ち破った第一次(神川)の戦いに焦点をあてて記事をまとめていこうと思う。
みほ
みほ
真田家と徳川家じゃ戦力差に凄い開きがあるわね!いったいとうやって真田家は勝ったの?
いい質問でござる。その辺を順を追って説明していこうと思う。

 

上田合戦、第一次(神川)の戦いの経緯

 

小牧長久手の戦いで秀吉の大軍と戦っていた家康は、さすがに大軍を蹴散らすことができず戦闘は膠着状態に陥っていました。

当然家康は後方にいる関東の大大名北条氏が気になります。

そこで配下の真田家に上野の沼田領を北条に渡すように命令します。

どころが真田家はつっぱねました。

それどころか上杉家に帰属し、家康に反旗を翻したのです。

家康は討伐軍を結成し、真田討伐に向かわせます。

こうして上田合戦(第一次(神川))の戦いが始まるのです。

天正13年(1585年)のことであった。

 

上田合戦、第一次(神川)の戦い!!徳川軍攻撃開始!!

 

徳川軍は真田軍の3倍もの兵力で上田城を目指して進軍してきました。

ここで両軍の戦力を比較してみたいと思います。

 

真田軍

兵力

昌幸  400

信之  800

農民約 3000

主な武将 真田昌之 真田信之

 

徳川軍

兵力

7000

主な武将

鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉、柴田康忠等

戦力差が圧倒的にありますね。

ここでは両軍の動きを見てみたいと思います。

下記の画像を見てください。

徳川軍が上田城をめがけて一直線に進んでくるのが分かります。

 

 

一方真田軍は上田城本丸に真田昌幸以下400、昌幸の長子信之は砥石城の800、その他農民3000を動員して伏兵とした。昌幸は要撃の準備を万端にして徳川軍の来訪を待ちました。

 

昌幸は城下に迫る徳川の大軍を見ても余裕綽々で、家臣に「碁をうとう」等といっているほどでした。

この上田合戦第一次の戦いでは昌幸は序盤から徳川軍を吞んでいたんですね。

さて進撃してきた徳川軍。

この大軍に信之が挑みかかります。

徳川軍の激しい攻撃が始まりました。

 

上田合戦、第一次(神川)の戦い!!真田軍勝利へ

 

信之は上田城の城下で小競り合いをしながら、巧みに徳川軍を上田城におびき寄せました。

真田組みしやすしと侮った徳川軍は上田城を一気に攻め落とそうと大手門を突破し、本丸に殺到しました。

まさにその時本丸の門の上に吊ってあった大木が徳川軍の頭上に落とされました。

 

それと同時に場内から弓矢・鉄砲が射かけられ、それに呼応して信之の兵が激しく挟撃、更に昌幸の兵が側面攻撃しました。この激しい攻撃を受けて、徳川軍は完全に混乱します。

それに乗じて意気上がる真田軍は喊声を上げて突撃、徳川軍は我先にと敗走しました。複雑な城下町を逃げ出すのに手間取り、真田勢の弓矢や鉄砲に打ち取られるものも多数に上りました。

また、真田方の伏兵と信之に神川のほとりに追いつめられ、増水中の神川に追い落とされた者は数知れずという状態になりました。

この戦いの死者は信之によると、徳川軍1300名、真田軍40名と記録されています。

 

真田家の一方的な大勝利です。

 

 

上田合戦、第一次(神川)の戦い!!冴える真田昌幸の知略!!まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

今回は真田家対徳川家の争いを記事にしました。

小勢力の真田家が、大勢力の徳川家に戦いを挑むのは無謀かもしれません。

でも武士の意地が屈服することができなかったのでしょう。

そして見事な作戦で徳川を破ります。

次号も真田家の記事は続きますので、是非ご覧ください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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