幕末

高杉晋作を簡単にわかりやすく解説!かっこいい生きざま!

高杉晋作をご存じでしょうか?

名前は良く知られているので、ご存じの方は多いと思います。

では何をした人かご存じでしょうか?

余り知らないという方もいらっしゃると思います。

そういう方の為に高杉晋作について、簡単にわかりやすくまとめました。

かっこいい生きざまを送った人なので、是非お読みください!

 

高杉晋作を簡単に分かりやすく解説

 

吉田松陰との出会い

 

高杉晋作は1839年8月に長州藩士の高杉小忠太の嫡男として誕生しました。

高杉家は200石の上士。今風に言えば高杉さんはかなりのお坊ちゃまぜよ

病弱だった晋作は甘やかされて育てられ、わがままな性格になっていったといわれています。

少年期になった晋作は藩の上士が通う明倫館という学校に通います。

しかし学問ができず、剣術ばかり稽古していました。

19歳の時に吉田松陰と出会い、その教えに共感して松下村塾に入塾します。

吉田松陰は晋作と松下村塾に先に入っていた、晋作の幼馴染の久坂玄瑞とやたらと比較しました。

玄瑞はとても秀才でした。

玄瑞の学識を褒めちぎることで、負けず嫌いの晋作を勉学に向かわせたのです!

こうして高杉晋作の学識は飛躍的に向上したのです!

松下村塾には特に優れた4人の英才を、松下村塾四天王と評しました。

四天王は高杉晋作、久坂玄瑞、吉田栄太郎、入江九一です。

特に優れている者として、高杉晋作と久坂玄瑞を松下村塾の双璧と呼ばれていました。

 

高杉晋作と久坂玄瑞の意外と知られていない面白いエピソード幕末の長州藩きっての英傑と言えば、高杉晋作と久坂玄瑞ですね。 松下村塾の双璧と言われた、吉田松陰の高弟です。 映画や小説では...

 

尊王攘夷の志士へ

 

吉田松陰は1859年、安政の大獄により処刑されてしまいます。

高杉晋作
高杉晋作
おのれ~、松陰先生の仇は絶対に取る

晋作は倒幕を誓いました。

その後上海へ渡航します。

高杉晋作
高杉晋作
あの巨大な清国が、イギリス等の欧米諸国の植民地のようになっている

危機感を募らせた晋作は、諸外国に対して弱腰の幕府の外交姿勢を否定する考えを持ちました。

桂小五郎(木戸孝允)や久坂玄瑞達とともに尊攘(尊王攘夷)運動に加わり、各藩の志士たちと交流します。

イギリスに対して及び腰な態度を取る幕府を批判して。英国公使館の焼き打ちを決行しました。

 

攘夷戦争

 

1863年に長州藩は関門海峡を通る欧米の船に砲撃しました。

これは無謀を通り越しているぜよ。わかりやすくいえば、山口県対欧米ということ!

しかし今まで砲撃していたのは商船でしたが、軍艦が報復に来ると完敗しました。

長州藩は破滅の危機に瀕したのです。

そこで高杉晋作を起用いたしました。

高杉晋作
高杉晋作
ここは松陰先生の教えである草莽崛起により、強力な部隊を作るしかない。この部隊で長州、ひいては日本の危機を救うのだ

草莽崛起とは志さえあれば身分の上下を問わずして、国難に立ち向かう志願制の部隊で戦うという考え方

 

晋作は武士だけじゃなく、百姓、町人等のあらゆる身分に呼びかけました。

そして作られた部隊を奇兵隊といいます。

 

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「奇兵隊」

 

奇兵隊は全盛時には600名いたと言われています。

戊辰戦争では大活躍し、国内最強とまで言われました。

なお、奇兵隊の他にも力士で編成された力士隊、山伏で編成された金剛隊等があります。

長州藩は武士しか戦わない他藩と違い、晋作指導の下民衆までもが戦ったのです。

 

倒幕へ

 

文久3年(1863)、禁門の変が起こり、久坂玄瑞、入江九一、来島又兵衛という長州藩の尊攘派の有力な人材が亡くなりました。

また、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4か国連合艦隊が下関を砲撃し、砲台が占拠されるという一大事が起こりました。

 

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「下関砲台占領」

 

 

この長州藩のピンチを救ったのも晋作です。

彦島の租借といった厳しいことを要求されましたが、晋作の奇知によりはねつけています。

しかし第一次長州征伐が開始されようとしました。

この時長州藩は幕府に恭順しようとする人達(晋作は俗論派と呼んだ)が政権を取ってしまいました。

晋作は幕府に降伏する等言語道断と憤慨します!

12月15日、功山寺で挙兵しました。

挙兵に際して奇兵隊を初めとする諸隊を説得したが、応じる者は力士隊(隊長は後の伊藤博文)30名と遊撃隊50名の計80名しかいなかったのです。

晋作は雪降る夜に五卿(8・18の政変で京を追われた5人の公卿)がいる功山寺に行き挙兵する決意を伝え、下記の事を言いました。

高杉晋作
高杉晋作
これより長州男児の肝っ玉をお見せいたします

僅か80人程の少数での挙兵でしたが、晋作の数々の奇知により、見事に成功いたしました。

こうして再び長州藩は倒幕の考えでまとまり、武器を買い戦備と整えます。

1866年6月、第二次長州征伐が始まり、晋作は海軍総督として、僅か4000人の将兵で、10万人の幕府を打ち破ります。

慶応3年(1867年)4月14日、肺結核により他界しました。

僅か27歳でした。

 

高杉晋作を簡単にわかりやすくまとめてみた

 

いかがでしたでしょうか。

高杉晋作を簡単にわかりやすくまとめてみました。

奇兵隊を編成、外国との交渉、功山寺挙兵、幕府軍との戦い!

いずれも凄いことです。

長州藩はたった一人の若者に運命を託していたのですね。

高杉晋作の生きざまは本当にかっこいい!

また執筆し、かっこよさを描いていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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