幕末

奇兵隊を結成から最後まで簡単にわかりやすく解説!強さの理由とは!

奇兵隊は多くの方がご存じだと思います。

あの長州の快男児高杉晋作が結成したことでも有名です。

しかしながら奇兵隊には色んな魅力があります。

この記事では奇兵隊の結成から最後までを追いかけていく中で、様々な魅力に触れていこうと思います。

ではよろしくお願いいたします。

 

解説は俺がやるきに安心してな(^^)

 

奇兵隊を簡単にわかりやすく説明

 

結成の経緯

 

文久3年(1863)5月10日、長州藩は関門海峡を通る外国船に砲撃を開始しました。

当初は商船でしたが、6月になるとアメリカとフランスの軍艦が報復に来て下関を砲撃、前田砲台は破壊され、挙句の果てには上陸されて村落に火をかけられました。

つまり長州藩はアメリカとフランスの軍事力に手も足も出なかったのです。

この事態を重く見た長州藩主毛利敬親は、山口政治堂に高杉晋作を呼び出し方策を聞きました。

 

高杉晋作
高杉晋作
志のある者なら誰でも入隊可能な新しい軍隊を創りたいと思います。その軍隊で夷人(外国人)と戦えば必ず勝てます。

 

毛利敬親は非常に喜び、晋作に一任しました。

晋作は下関に赴き、奇兵隊を結成、初代総督(開闢総督と呼ばれる)に就任しました。

この名称には、藩の正兵(正規兵)に対する奇兵という意味があります。

 

高杉晋作
高杉晋作
要は正面激突は正兵がやればいい。奇兵隊は神出鬼没、敵を欺き隙を突く

 

また、晋作は奇兵隊結成綱領で奇兵隊の概念について次のように記載しています。

 

奇兵隊は有志の集まりである。だから藩士、陪臣、軽率、庶民等の身分を選ばずに皆同様に交わり、実力向上を重視して強い部隊を作る考えである。

 

武士以外が武器を取り戦場に出る。これは当時ありえなかったことぜよ。高杉さんならではの斬新な発想だ!!!

 

斬新な組織形態

 

奇兵隊は「志さえあれば、身分を問わず入隊できる」という身分差別のない志願制の部隊で、隊士は300名~600名であったとされています。

隊士は約50%が武士階級で、40%が農民、残りは町人などで構成されています。

この約半数を占める武士階級の44.4%は直参の家臣の陪審と言われる人達で、武士社会の中で差別を受けていました。

このように差別されていた人たち中心で構成されていたのが最大の特徴といえるでしょう。

 

斬新な戦い方

 

この当時日本の戦闘方法は戦国時代とあまり変わらないものでした。

このためアメリカとフランスとの戦いで完膚なきまでに叩きのめされています。

そこで晋作は、こう考えます。

 

高杉晋作
高杉晋作
昔の戦法じゃダメだ!これからは西洋式の武器、戦術で行くぞ

 

晋作は隊士に銃を持たせ、鎧ではなく黒い軍服を着させました。

この軽い装備により隊士は速く動けるようになります。

戦場に広く散開し、縦横無尽に駆け回り、変幻自在に敵を攻撃するという、散兵戦術(当時最新の西洋の戦術)が可能となります。

ただ戦場で広く散開するため指揮官の命令は届かない。

そのため兵士一人一人が作戦の意図を理解して動かねばならず、相当の訓練を必要としました。

奇兵隊士には、猛訓練をさせています。

 

流石じゃのう。今までは密集して突撃していたからな~それでは敵の砲弾や銃弾で大損害を受けてしまう。散兵戦術なら大した損害は受けない。奇兵隊は強いはずだ!

 

なお、奇兵隊の訓練はこんな面白い逸話があります。

 

高杉晋作
高杉晋作
いくら強い兵が出来ても乱暴者じゃ困る。文学も教えんといかん!

 

晋作が総督の時は、訓練に文学が組み込まれてありました(^^)

風流な晋作らしい逸話ですね!

 

そしてご存じの通り、奇兵隊は四境戦争(第二次長州征伐)や戊辰戦争で、その強さを存分に発揮しました。

 

悲惨な最期

 

戊辰戦争が終わると、戦闘部隊である奇兵隊の必要性は余り無くなりました。

加えて長州藩は版籍奉還により占有地の石見国浜田と豊前国小倉を返却したため財政が厳しくなり、奇兵隊を含めた諸隊合計約5000名を養えず、2250人に大幅に減らしたのです。

その2250人の選考基準は、元々の身分、隊での役職で決められ、戦場で戦った庶民出身の隊士のほとんどは解雇されてしまいました。

この事態に不満を持つ1200名の旧諸隊の隊士は軍事行動を起こしました(脱退騒動と呼ばれています)。

しかし木戸孝允によって鎮圧されます。

130人も処刑され、悲惨な最後を閉じました。

 

奇兵隊を簡単にわかりやすくまとめてみた

 

いかがでしたでしょうか。

奇兵隊を簡単にわかりやすくまとめました。

奇兵隊は志さえあれば、身分を問わず入隊できるという画期的な組織でした。

武士と農民や商人等が同じ部隊で戦うというのは、本当に画期的ですね!

また、軍事面も国内で最も早く西洋式でにして、戦場でその力を存分に示します。

悲惨な最後を迎えますが、後世に奇兵隊の名を残したのは事実です。

当ブログを読んで、奇兵隊に増々ご興味をお持ちくだされたなら幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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