土方歳三には2種類の写真があることはご存じでしょうか?
多分露出度が多いため、知っている方が多いと思います。
ここで重要なことは、あのイケメンの写真は本物なのかどうかということではないでしょうか?
そこで本物なのかどうかを調べてみました。
土方歳三の写真は本物かどうかの徹底調査!
誰が撮影したのか?
まず土方歳三の写真を誰が撮影したのか説明します!
歳三の写真は全身が映っている写真と座っている写真の2枚があります。
全身が移っている写真は残念ながら肖像権等の問題で、当ブログに掲載することができませんでした。
とても残念です。
この歳三の写真は誰が撮影したのでしょうか?
それは函館会所町で写真館を開業していた紀州出身の「田本研造」である可能性がとても強いです。
この田本さんは大正元年(1912年)に没しました。
「北海道写真史」(渋谷四朗著)に、その葬儀時の弔辞で、土方さんを撮影した事歴が参列者に披露されました。
いつどこで撮影されたのか?
土方歳三が蝦夷地での拠点とした五稜郭
五稜郭の土方様✨✨ pic.twitter.com/NYdbQJbvqc
— taka.k (@tantantakataka) September 3, 2019
「五稜郭 全景」
土方歳三の写真に関する資料として、明治36年(1903年)刊の「北海道立志編」というものがあります。
その書籍に「榎本釜次郎(榎本武揚)の部下(土方さんと思われる)、氏(田本)の前を(中略)過ぎりて撮影を求む」との一文があります。
撮影場所はこの一文と前項の情報から考えてみて「田本研造の写真館」で間違いないでしょう。
田本研造が榎本武揚を撮影した月は、土方歳三が松前の戦闘から五稜郭に凱旋した時期です。
土方さんは仲の良かった榎本さんに写真撮影を勧められたという可能性が状況からして大いにあると判断できます。
なお土方歳三の写真は半身座像と全身座像の二種類あります。
この二種類の写真は同時に撮影されたとみて間違いありません。
何故なら二種類の写真の携行品がかなり類似しているからです。
こうして後世に残る二種類の写真が撮影されたわけです。
したがって土方歳三の写真は本物だと考えます。
土方歳三の写真(本物)の服装
この時期よく着られた洋式の軍服は、首のあたりがぶかぶかで、ほとんどの人の西洋式の軍服姿は様になっていません。
それを見て洒落者の土方歳三はよくよく考えたのでしょう。本来はネクタイを巻くのだが、白いマフラーを巻いたのです。
マフラーを巻くことにより、首あたりのぶかぶかが見えなくなるため、かっこ悪さが解消するのです。
それは土方歳三のかっこいいとしかいえない写真を見れば分かりますね(^^)/
土方歳三の写真の服装を一つ一つ見てみましょう!
1.コート
上衣はダブルボタンのフロックコート型で、ジェントルマンコートとも呼びます。
ちなみに西洋軍服ではありません。
上襟にビロードを張ったやや古風なデザイン!
ボタンを掛けて着用する時もありました。
袖のバックベンツは乗馬に都合がいい作りとなっております。
2.ベスト
コートの下には土方歳三はベストを着ていました。
前面にボタンが15個あり、襟は立襟です。
小ボタンの並んだチョッキの胸から右脇へ三本の懐中時計の鎖が流れており、真っすぐ下に垂れた一筋に下がるのはメダルのようで、土方歳三の洒落っ気が感じられますね♪
なお時計は洋式の戦いをする上で、作戦上の時刻の整合性を取るのに必須条件でした。
3.ズボン
ズボンはサスペンダーを用いたので、尾錠止めのバンドは刀と拳銃ケースを携帯するためのものでした。
4.ブーツ
膝頭を覆う皮長靴は、ふくらはぎ部分に二センチ幅ほどの補強革を付けた凝ったつくりでとなっています。
慶応元年に幕府は軍政を洋式に改めました。その時に西洋式の小銃や、団袋(ズボン)コルトのピストルまでも購入したという記録が残っています。
当時洋服屋は余りありませんでした。
戦いが洋式になっていくと洋服も盛んに輸入されました。
主に古洋服(上質の服も含まれていた)が輸入され、足袋職人などによって解体または部分改造され、着用者にサイズを併せて売却されたのです。
これらの洋服は洋式の部隊の将校が率先して買い求めました。
土方歳三の写真の洋服も、体格に比べていささか大振りなので、上記のように調製されたものと推認されます。
土方歳三の写真は本物なのかについてまとめてみた!
いかがでしたでしょうか?
今回は土方歳三の写真が本物なのかどうかについて記事をまとめました。
私は土方歳三の写真は本物であると考えます。
皆様はどう思われたでしょうか?
最後までお付き合いくださりありがとうご
ざいました。