秀吉

賤ケ岳の戦いを簡単に解説!巧緻を極めた秀吉の作戦!!

管理人のヤスマサでござる。今回は賤ケ岳の戦いを簡単に解説したいと思う。
みほ
みほ
織田信長の跡目争いよね!羽柴秀吉と柴田勝家が争った!
左様!この戦いに勝った秀吉が大きく天下取りに前進するんだ。賤ケ岳の戦いは戦国時代を知るうえで重要な一戦なので、簡単に分かりやすいように解説できるように頑張る所存でござる!

賤ケ岳の戦いを簡単に解説!合戦に至るまで

 

天正10年6月2日に本能寺の変が起こり、織田信長は壮烈な死を遂げました。

ここで後継者問題が浮上してきます。信長の息子、次男織田信雄と織田信孝が自分こそ後継者と主張しました。

しかし後継者になったのは本能寺の変で倒れた長男信忠の遺児三法師丸でした。このことで信孝は秀吉を恨み、勝家と結び、半秀吉同盟を結んだのです。

ここで両軍の戦力を見てみましょう!

 

秀吉軍

主な武将

尾張 織田信雄

備前 宇喜多秀家

美濃 稲葉一徹等

伊勢 織田信包

兵力 十万強(周辺の敵に備えたため、勝家との戦いに投入した兵力は6万余人)

 

勝家軍(反秀吉同盟)

主な武将

能登 前田利家

越中 佐々成正

加賀 佐久間盛政

美濃 織田信孝

伊勢 滝川一益

兵力 62000強(越後の上杉景勝に備えるため、佐々成正の8500を咲かねばならず、秀吉との戦いに投入した兵は53500)

 

兵力差はそんなにはないですね!

しかし秀吉方は勢力が隣接し連携しやすい状況となっています。反秀吉同盟を各個撃破できる状態ですね!

それに対して反秀吉同盟は各勢力が点在しています。ちょうど秀吉方勢力を包囲するような形になっているため、綿密に連携を取れば包囲攻撃できる状態となっています。

それぞれ有利、不利な状況にあったのですね!

 

賤ケ岳の戦いを簡単に解説!両軍の動き

 

 

天正11年2月、秀吉は伊勢に盤踞する滝川一益を75000の大軍で攻撃します。亀山城、国府城を落とし、秀吉方圧倒的優位な状況で推移します。

ところが3月9日に勝家が28000余を率いて北近江に進出し要地に陣取ります。

 

勝家軍南下の報を聞いた秀吉は近江に転進、3月16日に長浜に着いて勝家軍と対峙します。勝家は秀吉から挑発されましたが動きませんでした。持久戦になると踏んだ秀吉は三万の大軍で反抗する美濃の信孝を攻めます。

それを知った勝家は、佐久間盛政の秀吉方の陣地攻撃の意見具申を採用し、3月20日に8000の軍で岩崎山、大岩山の陣地を攻撃させます。

 

盛政の激しい攻撃により両陣地は陥落します。大岩山の守将中川清秀は戦死しました。

ここまでは勝家軍有利ですね!

 

賤ケ岳の戦いを簡単に解説!激しい戦い

 

 

岩崎山、大岩山の陣地を落とした盛政は思いあがっていたのでしょう。翌日賤ケ岳を攻略しようと考え、岩崎山、大岩山の両陣地を確保して夜を過ごそうとしました。

勝家は危険を感じ引き返すように盛政に促す。6度も使者を送りましたが一切拒否しました。この部分に勝家軍の致命的な弱さがあります。つまり勝家は部下の統率が充分にできていなかったのです。

一方秀吉は丹羽長秀や池田恒興等の織田家の先輩を含む配下の武将達を部下のように扱いました。

秀吉軍と勝家軍の戦力の差は、兵数の数より統率力の差の方が大きいといえます。

美濃に向かった秀吉は、「盛政大岩山を奪取」との報を受けた。この時秀吉は「我、勝てり」といったと言います。

敵は罠にかかった。秀吉は大急ぎで兵を賤ケ岳に向かわせた。午後9時頃賤ケ岳付近に到着、佐久間盛政隊を攻撃しました。

盛政は退却しますがよく兵をまとめ、秀吉軍を寄せ付けませんでした。

そこで秀吉は賤ケ岳に布陣している柴田勝政隊へ激しい攻撃を加えました。この時有名な賤ケ岳七本槍が活躍します。勝政隊は大混乱に陥ります。

佐久間盛政隊は勝政隊の救援しとうとして秀吉隊と激しく戦いました。しかし近場に布陣していた前田利家隊2000が突如退却したのです。

利家隊は盛政隊の後ろを通って退却したため、後方にいる勝家からは盛政隊が敗走してきたように見えました。

そして丹羽長秀隊も秀吉軍に加わって総攻撃に移ったため勝家軍は動揺し、柳ヶ瀬、沓掛越えから越前に敗走しました。

 

賤ケ岳の戦いを簡単に解説!勝家の自害

 

23日午後9時頃、勝家は近習達と共に居城である北ノ庄城に戻り籠城しました。

秀吉は22日府中で前田利家と和睦、23日は北ノ庄に到着しました。

24日午前4時に北ノ庄城を総攻撃を開始し、5時には攻め落としました。

勝家と妻のお市の方は自害しました。お市の方は信長の妹で、元々は浅井長政に嫁いだ女性です。絶世の美女とされています。3人の子供は助けられました。

 

 

勝家以外にも佐々成正は和睦を申し入れてきました。滝川一益は長島城に籠りましたが力尽きて降伏。

信孝は信雄に捉えられ、自害させられました。

こうして秀吉は織田家中のライバルを全て倒し、名実ともに信長の後継者となったのです。

 

賤ケ岳の戦いを簡単に解説!巧緻を極めた秀吉の作戦!!まとめ

 

 

いかがでしたでしょうか?

今回は秀吉と勝家が戦った賤ケ岳の戦いに焦点を当てて記事にしました。

この戦いは秀吉の作戦勝ちです。この部分が上手く絵掛けていたら幸いです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です