幕末維新

赤報隊について!相良総三は何故斬首されたのか?簡単に解説!!

管理人のヤスマサでござる。今回は赤報隊と相良総三殿について調査を実施した。
みほ
みほ
赤報隊は志は高かったけど、官軍に斬首されたのよね?
左様。農民の事を考え、倒幕の先頭を走ろうとした人達でござる。
みほ
みほ
そんな人たちが何故処刑されるの?
深い話は記事を読んでいただこう!最後までご覧あれ~

赤報隊、相良総三はどんな人?

 

まずは赤報隊隊長の相良総三の経歴についてご説明します。

 

・下総国北相馬郡郷士出身

・国学と兵学を修め、私塾を開く

・20歳にして私塾は門人百人を超えていた

・相良総三は慶応三年(1867)に江戸薩摩藩邸で浪士隊を結成

同志は500人を超えた

 

なかなか凄い人物ですね!

おまけに薩摩藩士伊牟田尚平と知り合い、薩摩藩とも関係を持ったのです!

この浪士隊は江戸・関東攪乱工作を実行、旧幕府の薩摩藩邸焼き打ち事件を引き出し、薩摩藩は旧幕府と開戦する大義名分を得ました。

その後相良総三達は京都へ行き、慶応四年一月十日に近江国愛知郡の金剛輪寺で赤報隊を結成しました。

ここまでは順風満帆ですね!!

 

赤報隊の相良総三は何故斬首されたか!!

 

 

赤報隊と相良総三は江戸進撃を強く希望、薩摩藩の西郷隆盛は了承しました。

これには裏があり、資金不足で進発の目途がが立っていませんでした。

また、沿道諸藩は佐幕派が多く、動静は分からない状態だったのです。

かなり危険な任務と言えます。

でも赤報隊と相良総三は勇躍して東山道を進みます。

そして沿道の宿泊地で「年貢半減令」を布告、多くの農民の支持を得ます。

しかし赤報隊の運命は暗転します。

 

・資金に窮している薩長派は三井・島田ら都市特権商人と手を組む

・その結果300万両を調達

上記都市特権商人は新政府の元で新たな年貢米取り扱いと利害が

対立する年貢半減令の撤回を要求

・薩長派は都市特権商人の要求を受け入れた

・その結果、薩長派と都市特権商人にとって赤報隊は邪魔になった

・そして赤報隊の排除が密かに進められた

 

何も悪いことをしていない赤報隊を排除しようなんて酷い話ですね!

その頃、赤報隊と相良総三は、下諏訪まで進軍していました。

そして統制違反という理由で、「偽官軍」の烙印を押されました。

3月1日に赤報隊60余人は東山道総督府に捕縛されました。

その二日後相良総三と八人の同志が、一度の取り締まりもなく斬首されました。

言ってみれば薩長派など討幕派は赤報隊と相良総三のような草莽の志士を利用して、歴史の闇に葬り去ったのです。

こうして赤報隊は何の落ち度もないのに「偽官軍」の汚名を着せられて非業の死を遂げました。

とても残酷な事実ですね!

 

赤報隊について!相良総三は何故斬首されたのか?簡単に解説!!

 

いかがでしたでしょうか?

今回は赤報隊と相良総三について調査し、記事をまとめました。

薩長派がまさか都市特権商人と手を組んで赤報隊を排除したなんて、驚愕の事実ですね!

それだけ革命は難しいということなのでしょうか?

赤報隊と相良総三が安らかに眠っていることをお祈りいたします。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

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