明智光秀

明智光秀の特技は鉄砲?それとも剣術?資料から実像に迫る!!

管理人のヤスマサでござる。今回は明智光秀殿の特技について調べてみた。
みほ
みほ
明智光秀さんといえば鉄砲という新しい武器の使い方が詳しくて、刀や槍を振るうなんて想像できないわ!
ふむふむ。そういうイメージが大多数じゃろう。しかし実際はどうだったのか、資料を検証したでござる。
みほ
みほ
うわー資料があったのね!!
うむ、明智軍記や信長公記があったわい!では最後までご覧あれ!!

 

明智光秀の特技は鉄砲ではなくて剣術だったのか?

 

 

 

 

それではまず明智光秀が戦場でどのような戦い方をしていたのか、明智物語から検証していきたいと思います。

松永久秀が天正五年(1577)の秋に謀反を起こした時の事です。

信長は久秀の与力らが立て籠もった河内の片岡城を攻め立てました。

この時光秀も参戦しています。

明智物語では片岡城攻めの光秀の戦いぶりを以下のように記しています。

光秀はなんと三尺六寸の太刀を振り上げ、「かほどの小城を乗っ取らぬことがあるか」とし卒を叱咤激励し、自ら真っ先に突進しました。

城中からも隅屋新六という大柄の武者で、光秀と一騎打ちします。

太刀での打ち合いでは勝負がつかず、組み打ちになりました。

光秀は隅屋新六の騎馬の鞍の前部をむずとひきつけて、その首を手もなく掻き切って捨てたと書いてあります。

相当の大力であったようです。

また槍働きもかなり強く、越前一向一揆平定戦では、「日向守も自鑓(やり)を取って、敵四騎突伏せ給ひける」と記録されています。

 

明智光秀の特徴

・かなりの大力の持ち主

・槍働きが強い

・相当の武辺者

 

なんだか策略が得意のインテリ然とした光秀のイメージと異なっていますね!

 

明智光秀の特技は鉄砲だったのか?

 

 

 

 

では明智光秀の特技は鉄砲ではなく槍働きだったのでしょうか?

明智軍記には光秀が朝倉義景に仕えていた永禄六年(1563)夏に、義景から以下のことを言われたと記されています。

 

その方は去年の加州一戦のとき、鉄砲で多くの敵兵を撃ち倒して功名を立てたが、奇特のことであるゆえ、近日そのほうの鉄砲の技量を見物することにしようぞ

 

加州一戦とは永禄五年に加賀の領民が叛いたのを鎮圧した戦のことです。

この時光秀は押し寄せる敵に鉄砲を放ち、大勢の敵を撃ち倒しました。

そこで主君義景の前で砲技披露を下命されたのです。

いざ当日(4月19日)の午前十時ごろに始められました。

的の数は100あり、二五間のところに一尺四方の的を立てさせました。

火縄銃の試射には、通常八寸四方の白地の四角の中心に直径二寸の黒丸をいれたのを用います。

それを「角」と称したが、この時はそれよりやや大きめの的が使われました。

しかし距離に関しては通常は十五間ですので、この試射の時の二五間は遠距離といえます。

光秀は時間にして二時間、百回射撃し、68発が星に当たり、残る32発も全て角に当たっていた。

この結果は凄まじい的中率で、神業といえるレベルです。

これに感じ入った義景は100人の銃手候補を選び、光秀に預けたと明智軍記に記されています。

 

戦場での槍働きも凄いですが、鉄砲の腕もそれ以上に凄いですね!!

 

明智光秀の特技は鉄砲?それとも剣術?資料から実像に迫る!!まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

今回は明智光秀の特技が鉄砲なのかどうかという疑問について明智物語、明智軍記という資料を基に解明しました。

その結果、光秀は大力の持ち主で武者働きも相当強い。

しかし鉄砲の技量は神業レベルということが判明しました。

明智光秀は戦場では何でもできるマルチな才能を持った武将だったんですね!!

中々魅力的な武将です。

今後も明智光秀の記事を書いていこうと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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